さようならに触れるために

1学期は「矢島」という苗字だったのに、
夏休みがあけて「田辺」という苗字になっていた矢島君と、朝起きて家の前で合流する

今日は池があるかな?と僕が聞いて、矢島君は「絶対あるよ」と言った

毎日同じ通学路を通っているのに、池があったりなかったりする、自動販売機があったりなかったり、綺麗な花が咲いていたりする

彼は矢島君だったり田辺君だったりする

飛行機のプラモデルも組み立てられなかったように、小学生の僕らにはさようならの場面も作れなかった
ずっと僕のこと忘れないで、という言葉の意味もよく知らないまま、小学2年生の時に僕はうまれて初めて、ずっと僕のこと忘れないで、といい、
それから今まで一度もそんなことを言わずに10年間生きてきて、僕はいまもその言葉の意味が全然わからないんだ

小学校に隣接する家の塀の壁をよじ登って、ザクロの実をとって食って、その後どうしたらいいのかわからなくって、目の前に揺れるブランコが見えているのに、僕たちの手2つともザクロの汁でピンク色に汚れていて、それを校庭の砂にこすりつけて、ジャングルジムのてっぺんでションベンをし、ションベンが棒にあたってキラキラと飛び散って、畑のキャベツに爆竹を仕掛けて片っ端から爆破し、僕はランドセルの中に入っていたアクションコミックスを矢島君に渡す、耳の中では飛行機の轟音と聖歌隊のゴスペルと赤ん坊の泣き声が全部いっぺんに流れていて、僕たちは、さようなら、だっていうのに、誰も死ななかった

これは綺麗な花だからふみつぶしてはいけないというルールは誰が考えたんだろう、どうしてこんなところに池があるんだろう?その脇に綺麗な花が植えてあって、どうしてここに小学校が建っていて、小学校と僕の家が道路や空や下水道で繋がっていて、僕らが星に願いをかけるのはそれがずっと遠くにあるからで、この街を組み立てた人は、ずっと僕のこと忘れないで、と言ったことがあるのかないのか、わからなくって、さようなら、のあとに、消えろ、僕たちの見た事のない池も花もこの街も