勉強=セックス(こんな日記だってもう過去のことだ)

けれど、今、あれ?と思うぐらいに、暗い妄想を欠き続ける根拠(漠然とした不安とか嫌な体験)が消えた、僕は詩を書くために幼児虐待の本を読んで泣いてしまったりするようになるだろう それを暗い未来と言わなくなる、ネガティブなものは油断するとつい、ポジティブになる、泣いてしまってそのままになる 僕の素直な気持ちと言うのは昔から非常にポジティブなものだから・・・毎晩ザードの負けないでを聞いてるし・・・ 今も殴られている子供たちガンバレ!引き篭もりガンバレ! なんて滑稽なことを自覚的なギャグでなしに言ってしまいそうになる 最近は油断するといつもこうだ、それは文をまったくの意味不明にして、わからない、という逃げ道を作る事と同じぐらい魅力的だ、 素直な気持ちをストレートに書きたいという誘惑に負けてしまいそうになる

でも、引き篭もりの頃作っていたわけのわからない、けれど物理法則と同じぐらい絶対的な僕自身のルールはまだ残っている 嫌な気分を貫いていた倫理が、もう目に見えるようになっている「つとむをつつくといろんな汁が出る、それを舐めるために毎晩昆虫達が集まってくる」「僕が屁をこくたび妹がドアを開け何も言わずにしめる」「素直な事をストレートに言うとあとですごく恥ずかしくなる」「恐ろしい原宿」
そんなルールが今でもあって、そしてそのルールはまだ僕の中で絶対に正しい、
僕自身のルールに従って、ルールを補強するために、僕は暗い妄想を書き続けていた
そしてそれをいいことかわるいことかわからない
という疑問自体が
いいことかわるいことかわからない
という疑問自体が
いいことかわるいことかわからない
という疑問自体が
いいことかわるいことかわからない
という疑問自体が・・・

と今現在永遠に反復が続いてる、そこをもっとよく考えて、僕は潜水艦に乗って脱出しようと思う