今読み返すと自分でも

僕の奇妙にまがった倫理の中で僕は悲しいのだけれど
同時に僕は世界のルールの中で嬉しいと思わさせられている

今日始めてあった人の名前が思い出せない
説明が後ろのほうで道に迷っている
ビンをゴミ箱に投げると大きな音がする

僕は小学2年生の頃からうんこが好きなのだけれど
許せないうんこもある
うんこがあまり好きではない人には許せないうんこというのはたぶんない
許せないうんこがあるかないか、ということはその人の中に倫理のようなものがしっかりあるということじゃないかしら
世界は殺人を犯した人を許せないと断罪するけれども僕はその人のことはよく知らない
同時に、僕自身の許せない人も僕のまわりにどこをみてもいなくなっている
世界は死刑によって回る

頭のおかしな人がよく同じ言葉をずっとずっと繰り返す文を書いたりしませんか?
そしてその言葉はウンザリするほどネガティブなものだったりするじゃなーい
「よしお」という文字をノートいっぱいに書きなぐってみるとそれが、
文字から、わけのわからない線に見えてしまうように
単語の、伝えるという機能を必死で壊している
悲しいけれど、そういうノートにいえる言葉は一つしかない
「さむい」
「さむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむい・・・」
だから僕たちが生涯で壊せる文字はひとつきりだ

僕は小学2年生の頃からうんこが好きなのだけれど
うんこの魅力をながながと説明して、言葉を尽くしてうんこが好きだという気持ちを説明して
それが野グソに伝わって、受け入れてもらえたら僕はとても嬉しいだろう
けれどそれはただのうんこ好きな人として説明され、誰かの好みによって否定される

僕からうんこへ、ではなく、うんこから僕に来るものを説明する
うんこが好きな僕とそれを見る彼との違いを説明する
うんこをこねてカッコイイスーパーカーをつくる
うんこの中に入り探検する
逆に自らの中にうんこをいれ、うんこを味わい僕の体の中を通ったうんこをだす

うんこを宇宙から見れば
トイレや僕や虹や鬼や公園やその他の物も視界の中に入ってくる
すべてを見ている人も一言では終われない
あまり悲しくないというそれだけで僕は僕の見ているいくつかのものから一つを選べない
僕はうんこに踊らされている