やめてください

大好きだ、と伝えなくちゃいけない場面でごめんなさいといってしまったら、全部正反対になってしまうんだよ もう誰からも殴られない、ということに寂しさを感じるのはおかしい、明らかにおかしいことだ それはきっと正常じゃない、やっとわかりかけてる 僕はサラダスパなんて食べたことなかった あの時、ふとした時に、顕微鏡の使い方覚えてる?と聞かれて、僕は胸が詰まるほど嬉しかった これは正常じゃないのかな、それは僕にはまだわからないけど 自分に関わる重大な嘘しか言えなかった 物語、とそれから、悲惨、は僕の恥ずかしさを隠すためにすごく重要なファクターだった 今どうしてこんな素直なそしてセンチメンタルな事をいってるんだろう 引き篭もりの糞尿とか暴言とかしか書き込みたくなかったのに
感傷に負けそうだ、そういうのって引き篭もりにとって1番してはならない気持ち悪いことだ だって「引き篭もりが寂しがっている、そうしてストレートなコミュニケーションを求めてる」なんて、ひどくおぞましい言葉だ、鳥肌が立つ、そしてそれは今の僕だ(放屁)

ひきこもって、見えるものがすごく少なくなって だからそれをじっとみつめてしまい、でも感じた事を伝える相手がいなくなって だからわかりやすく順序だてて物事を話す必要がなくなって 僕は僕の順序に正直に頭の中でいろいろなものを大きくしたり小さくしたり混ぜ合わせ いろんなものがいろんなふうに重なり合って

箱の中に神様が見えたり
ガムを食べたり
窓際の花瓶に綺麗な花がささっていたり
朝食に目玉焼きがでてきたり
不思議なことがたくさんあったし、それをした
目の前にプリズムのような光の束が見えたり
時間が伸び縮みして夜中の12時に窓の外を見ていたら
3分ぐらいで朝になったのには心のそこから爆笑した

お菓子の病気のころは毎日がとてもキラキラ輝いていた
引きこもっていたころは誠実にパワフルに 自分を成長させることなにもしなかった、なにひとつだ!

世界はいつまで待っても崩壊しなかったけど
すごく真撃に過剰に引きこもっていた気がするよ
2002年、熱い夏の引きこもりたち
彼らは引きこもることをあきらめなかった
どんなに苦しくとも彼らは引きこもることから逃げなかった
最後までいきいきと誇りを持ち引きこもりぬいた

引き篭もりは嫌なことをインターネットに書き込み続けるのが仕事だから あのころの僕は真面目にそれをこなしてた、そんなかわいらしかった僕に 今の僕は花束を届けに行きたいよ 着払いで大量の花束と特上寿司100人前 あのころの僕が使っているパソコンのキーボードの「あ」の部分に ガビョウをしこみたいよ 彼が「あいしてる」と打つたびに指から血がどくどく出るんだ
彼が書いた嫌な、けれどきっと強い言葉は今でも僕の 感傷に流されてしまっている今の僕の誰にも見せられない宝物なんだ